車校いったら濃厚接触者になった話
2020年と言えばなんでしょう。色々あったと思いますがやはりコロナと答える人も多いと思います。ニュースが一面コロナに染まってましたからね。外出自粛やオンライン授業など、思えばコロナのせいでろくでもない一年だった気がします。
さて今回はコロナが騒がれ始めた3月末に丁度行ってた自動車学校で濃厚接触者となった時の話をしたいと思います。
1.合宿免許に行くまで
通学で取る普通の免許が30万、合宿で取る免許でも最低20万程かかる免許ですが、我が家では免許のお金を親に出してはもらえず自分のお金で取らなければならなかったので大学の学類(一般的な大学の学部に相当するもの)で大学1年の夏に主催されていた免許合宿には参加出来ずお金がある程度たまるまで待たなければなりませんでした。
そんな中ついに大学2年の夏ごろにはお金も十分にたまったため大学2年の春休みに取得する計画を立てました。合宿免許で安くてコスパの良い人気な教習所は半年前から予約を取らなければ予約が埋まってしまうので予約開始と共に電話して予約しました。
米沢ドライビングスクール自炊シングルコースAT限定3月23日~で予約しました。値段は19万1400円、早割でここからさらに5000円引き。交通費全額支給(東京からなら往復代として2万円)。
相場と比べても安い値段で予約する事が出来ました。この頃は特に一人暮らしみたいな事をしてみたい!という欲求もあった為自炊コースを選べるところを選んだと言うのもあります。
途中、同じく免許をまだ取っていない友達も1日遅れの3月24日入校でほぼ一緒にいく事になりました。
前述した通り一人暮らしもどきの事を出来るとあったので免許の取得以上にそっちが楽しみでした。そしてワクワクしながら3月まで待ったのでした。
ちなみに濃厚接触者になったこと以外はとても良かったので免許持ってない人は是非↓
2.合宿免許での生活
免許合宿の日が近づく中、国内そして世界ではコロナのニュースが登場し始めます。2月には武漢からのチャーター便やらクルーズ船やらのニュースでしか見なかったコロナも3月に入ると少しずつ日常に影響が出てきます。政府からも外出自粛要請は出るし私が普段使っていた公民館も閉鎖されるしで免許合宿も開催されるのか心配になってましたが結局最後まで中止の連絡は来ず、行く事になりました。
免許合宿に東京から新幹線を使って山形まで来ることが想定されて往復2万円支給されるのですが新幹線を使った証明などは要らないという事で2日前に家を出発して鈍行列車を使って旅行しながら山形の米沢まで行きました。
そして入校当日、米沢駅で他の参加者10名と共に車に載せられて教習所に運ばれます。
学科や実際に車に乗る教習を受けて1日目も終わり部屋を案内されました。
こんな感じの所で結構良かったです。この時はまだここから3週間ここで過ごす事になるとは思っていませんでした。
最初の一週間はいわゆる普通の楽しい合宿免許を過ごしました。教習も曲がるところ曲がれなくて直進して脱輪してキレられたり赤信号無視して直進しようとしてキレられたり無線教習でコース分からなくなって全くでたらめのコースを一時間走ってキレられたり、君は運転しない方がいいと言われたりと色々しましたが着実に上手くなって行きました。そしてついに3月30日には仮免許の取得に成功します。
また教習以外でも周辺の米沢8湯と呼ばれる温泉巡ったり、念願の自炊を含んだ一人暮らしもどきをして一杯色々な料理作ってました。
アホみたいに買った野菜達と作ったたこ焼きもどき
これ以外にもいっぱい作ってとても楽しい合宿免許生活を楽しんでいました。
3.濃厚接触者へ
3月30日に仮免許を取った次の日、いつもは宿舎から教習所までのバスを使って行く事になってるのですが教習が午後スタートだった事もあって折角ならばという事で米沢市内を観光しながら歩いて教習所に向かってました。教習所で無料の昼飯が食べられるので向かうと教習所の前が異様な雰囲気に包まれていました。そして誰も生徒がいないことを不思議に思いながら入ると凄い剣幕で受付の人に「なんで来たの!?というかどうやって来たの!?」と言われてとにかく自分の宿に帰れと追い返されました。
定休日があるとは聞いて居なかったので不思議に思いながら宿に帰りました。最初は状況が分からず困惑していたのですが少しずつ嫌な予感が脳裏に浮かんできました。
何か想定外の自体が起こって教習所が急遽閉鎖されてしまったのでは無いかというものです。
そして宿に帰って一緒に来ていた友達に何が起こっているのか聞いて見たところどうやらこの教習所でコロナ患者が出たらしいと聞かされました。どうやら教習所に行くバス乗り場で事態の説明がなされていたようでした。暫くの間教習は中止、今後についての説明はこの後行われると言われました。
3月31日、コロナ患者が発生して居なかった山形県で初の感染者が米沢市の教習所で発生。これに巻き込まれました。
ここでまず一回目の説明会が宿舎で行われました。マスクを持ってない人はマスクを配られ、アルコール消毒をさせられ換気をした状況で説明会が始まりました。
ここで山形県の保健所の人が来て、まず初めに自分達が濃厚接触者である事を告げられます。そしてこの濃厚接触者の中でさらに3段階に分けられることになりました。
まず一段階目が教習所で実際に感染してた人と一緒に過ごしてた人や教習で感染してた人の車に乗っていた教官の計7人。
次に二段階目が感染してた人と同じ入校日に入校して一緒に学科を受けてた人達(3月24日入校の人)。
最後に三段階目がそれ以外の教習所にいる人達です。
自分はこの三段階目で一緒に来ていた友人が二段階目でした。
一段階目の人達は実際にPCR検査を受け、二段階目と三段階目の人達は自主隔離と経過観察をするように言われました。
教習は暫く中止でその後の対応については後日追って連絡するとも言われました。
そしてここから外出する事は基本禁止され3食弁当が支給されることになりました。
このニュースは瞬く間に全国に広がったようでTwitterで米沢ドライビングスクール関連の生活をツイートしまくっていた自分の元にも心無いDMが届いたりするようになり鍵垢にせざる負えなくなったりもしました。最終的にこの件で200人くらいブロックしました…
4.隔離生活(?)
さてそうして隔離生活は始まりました。楽しかった合宿免許生活は恐怖の隔離生活へと変貌します。クラスターが起きてダイヤモンドプリンセス号のようにこれから感染者が爆増するかもしれないしそれなら自分も感染してるかも知れない。という恐怖がありました。当たり前の話ですが今と違ってまだコロナが一般に広まってたとは言えない頃だったのでマスクしてる人は少なかったし人気な教習所だったので教習所内は常に混雑していました。
そんな訳で恐怖に感じながらも過ごしました。こんな事になると想像して居なかったのでPCも本も持って来ておらずスマホとテレビだけで過ごしていました。自炊コースでまだ冷蔵庫に買った食材が色々残っていたので少しずつ作りながら暇を潰しました。流行ってた蘇に関しては誰にも作る上手さでは負けない程に上達しました。あれ以来作っていませんが
ニュースを見てもこの頃になるとコロナ一色に染まっていて緊急事態宣言がいつ出るのかと言った話も目にしました。
そんな中嬉しいニュースも。自分の教習所で実際にPCR検査をしていた7名が全員陰性との事でした。つまりこの教習所ではクラスターが起きてる可能性が極めて低いという事でした。
ここで二回目の説明会が教習所によって行われます。
ここでもう家に帰りたい希望者は帰って良い事、隔離を続けたい人は4月10日までならここに居ても良い事、教習料金は全額返金して交通費も前の通り全額保証する代わりに退校との事でした。
無料で3食昼寝付き(昼寝以外することない)という事だったので上限の4月10日まで居座る事にしました。ここにきてクラスターが発生してない=自分も感染してないと言う事なので少し誰も居なさそうな場所を選んで外に出て見たら地元の誰かに見つかったようで教習所に苦情の電話が多数入り自分の元にも直々に注意されてしまいました。米沢市の田舎ネットワークを舐めてました。これによって深夜徘徊以外出来なくなってしまいました。
ここからさらに4月10日まで虚無の時間が続きます。朝昼夜は寝て食事の時間になったら起きて弁当貰いに行って深夜になったら周辺を徘徊する生活です。
5.帰宅
そして4月10日、教習所から自宅へ帰宅しました。この時も新幹線を使わずに18きっぷの残りを使って帰りましたが福島、茨城、千葉と帰り道を通るに従ってマスクしてる人は多くなっていったのが印象的でした。
ああ、世の中は変わってしまったんだなと思った瞬間でした。大学も開始が4月下旬へ延期されオンライン授業化
今もまだ昔の日常は全く戻っていませんが、自分の中ではこの濃厚接触者になった出来事がその生活の変化の節目であったように感じます。いつか戻るといいですね
6.後日談
さて退校になった合宿免許ですがその後6月頃に退校になった人の為のプランが米沢ドライビングスクールで募集されていたのでそれに応募することになりました。7月初旬に大学のオンライン授業を受けながらの参加で期間は7日、交通費は全く支給されなかったものの9万円で免許を取る事が出来ました。ある意味ラッキーですね。