ひぐはの日記帳

日記です

学生時代と英語①~中学高校編~

はじめに

私は生まれてからというもの英語が苦手で英語に苦しみながら学生生活生活を歩んで行きました。あまりに英語が出来なくていつも悩んでたので、ある意味英語と共に歩んできた学生時代ということも出来るでしょう。不本意ですが。

そんな訳で今回の記事では英語と共に歩んできた学生生活について語っていこうと思う。

 

1.中学校時代

英語との出会いは当然中学校です。小学校の時も学校でなんちゃってな英語の授業はありましたがまだまだ小学校の英語教育黎明期だったのか存在意義すらよくわかりませんでしたし成績という概念もありませんでした。

さて、そんな私は中学受験をし、某都内のそこそこ有名な中高一貫校に入りました。

そこで初めて英語の授業というものに出会う事になります。とは言え最初の頃はまだ普通でした。なにせ中学校で実質初めて出てきた科目だったので寧ろ英語の授業というものにわくわくすら感じていました。

そんなこんなしていく内に中学1年1学期中間テストがやってきます。

 

結果は学年340人中240位

 

特定の教科が悪いというよりは全体的にそんなに良くないと言った感じでした。

これには中学生ながらにヤバいと感じました。正直小学校の頃には学校では誰にも成績で負けたことはありませんでしたし、塾でだって常に上位にいたので平均を下回ると言った経験はこの時に初めてしたからです。学内テストでも偏差値が出るので偏差値を見てみると全部40代後半と言った感じでした。

今考えて見るとまだ一発目のテストで実力差は生徒間でそこまで開いてはいないはずなのでそこまで慌てる事は無いよなぁとは思いますが当時は本気で焦っていて期末こそは...!という思いから定期テスト勉強にさらに本腰を入れることになりました。

 

結果中学1年1学期期末テストは学年340人中130位

 

ここで勉強の成果が出たのか順位を100位以上伸ばし希望の光が見えました。しかしここである教科が目に着きました。他の科目は全て平均点を上回り状況が好転しているのにも関わらず英語だけが前回よりも酷い点数になっていたのです。別に期末で英語だけ手を抜いた訳ではなく普通にはやったつもりでした。次のテストでの課題は英語だなとそう思いました。英語さえ平均でも取れればこの集団でも頭一つ抜けられるという確信があったからです。

中学1年2学期中間テストでは英語に力を入れる事になります。前に比べて英語の時間を増やす事で対応しました。勿論、受験も終わり時間が経つにつれてモチベーション自体は少しずつ下がって来てはいましたがまだまだありました。

 

結果は中学1年2学期中間テスト学年340人中180位

 

ここで英語の点数が赤点になります。私の学校では赤点は40点でした。確か38点とかだった気がします。初めての赤点だったので今でも鮮明に記憶に残ってます。きっと走馬灯にも当時の記憶が出てくると思います。

ここで母親の勧めで英語の補習塾(?)なるものに入ることになります。

定期テストの点を○点上げます!みたいな広告出してるような塾です。

ここで定期テストの度にそこの塾で英語の勉強に奔走する事になります。

結果としては英語の点数は少し上がりました。平均には全く届かなかったものの赤点はそこから暫くはとりませんでした。

しかし一つ、大きな問題が生じます。定期テストがある度に週3、4日その塾で英語ばっかりやるものですので他の科目の点数は徐々に下がり始めます。

今私の部屋に当時の成績表が残されているので順位も分かるのですがこんな感じです

 

1年2学期期末340人中170位

1年3学期期末340人中220位

2年1学期中間340人中260位

2年1学期期末 紛失

2年2学期中間340人中250位

2年2学期期末 紛失

2年3学期期末340人中300位

 

順位の下落と共に自分のやる気もどんどん下がっていきます。

ついていけない科目は英語だけでは無くほぼ全ての科目でついて行けなくなりました。

やる気も完全に無くなり授業中はずっと寝てました。なんなら登校中に電車内で寝落ちして山手線を3周くらいして3限から登校みたいな感じの事がざらにあるようになります。

この時に満員電車の中で立ちながら眠る事も習得し始め遅刻回数はさらにどんどん増えていきました。

他にも学校で色々あったりした事もあって¨深海魚¨という言葉がピッタリな感じ。

深海魚というのは進学校で成績が一気に下降して授業に全くついて行けなくなっている人の事を表す造語です。

↓こんな感じ

gendai.ismedia.jp

 

2.どん底のその先へ

 

中学2年の終わりまでにこのような絶望的な状況まで追い込まれていました。

さらに中学3年の1学期もさらに成績は下がり続けました。ここまでくるとテスト勉強どころか授業すらまともに聞いていなかった気がします。勉強に対するやる気はもちろんゼロで何を考えてたかすら覚えていません。闇です。無です。

墜ちる所まで落ちてますね。

そうして中学3年2学期中間にはついに343人中342位←!

ここまで墜ちました。

ここで問題が。私の学校は中高一貫校なのですが実は高校に上がるには条件があります。というかどこの学校も基本的にはこのシステムのはずです。私の学校では基本大体20人くらいが高校に上がれずここで脱落します。この高校に上がる為の条件というのは中学3年の2学期中間と2学期期末の定期テストの点数で決まります。

 

私の学校では高校に上がる為の条件として

①この二つのテストの全教科の平均が55点以上であること

②二つのテストの平均が赤点40点を下回る科目が2つ以上ない事

他にもありましたがこの二つが僕には引っかかったようで2学期中間が終わった後担任に呼び出されて高校受験で違う高校に行く事を勧められました。この時点で全科目の平均が43点、赤点が6こあったからです。期末との平均で55点を超えるには期末で全科目合計が67点以上を取る必要がありそれは実質不可能であると担任には言われました。

僕も高校で他の学校に行く事は絶対に避けたかったのでここから猛勉強する事になりました。そしてある戦略を実行する事を決意しました。

それは

英語を捨てる

と言う選択でした。

ここまで成績が悪くなったのは英語のせいだとこの当時は思っていました(実際には他にも原因はあると思います)

こういう絶望的な状況下だと何か一つのせいにしたくなるのは人間の性というものです。

英語さえ無ければ成績は上がるとそう自分に言い聞かせて英語は全く勉強せずそれ以外の科目に全力で挑みました。英語は赤点でも構わないのでそれ以外で大量に得点して全教科平均67点を取るというのが当面の目標になりました。

当時行ってた英語の補習塾もこのタイミングで行くのを辞めて英語の教材に触れるのを一切辞めました。

1日10時間の勉強を1か月以上に渡って続けて、さながら受験勉強のような体になっていました。

友人等のサポートもありながらも結果としてこの戦略は大成功を収めました。

数学(代数)、数学(幾何)、国語、化学、地学、世界史、公民

これら全ての点数が80点以上になり英語が過去最低の悲惨な点数でも平均して70点代になりました。(順位は340人中220位)

これをもって2つのテストの全教科の平均が55点以上を達成し高校へ進める権利を得たと同時に、英語を捨てればまだまだ点数を上げられるという自信も得てこの後も英語を完全に捨てて突き進んでいこうと思いを新たに定期テストの順位を上げる事に奔走していくことになりました。

 

3.高校へ、留年危機そして文理選択

この中学3年2学期期末を経て少しずつ成績は上向き始めました。

もちろん、英語は捨てる。英語が今までの闇時代を作った元凶!という想いはさらに強くなっていたので英語だけは全く勉強しませんでした。英語を勉強し始めたらまた成績が下がっていきそうで怖かったのもあります。

さて、そんなこんなで英語は赤点(高校からは30点未満が赤点)を取り続けていはしたものの順位はどんどん上がっていき小6ぶりに「勉強...楽しい!」と思えるようになっていきました。

しかし今までは義務教育の中学校だったのに対して今は高校。ここに来て留年という概念が登場します。

私の学校では一科目でも赤点があると留年でした。なので基本的には赤点にならないように調節されてるのですが全く勉強しないで臨むと流石にかばいきれないのか留年させられます。

当然私の英語の点数も常に留年の危機にさらされ続けていました。もう時効だと思うので話すとテスト返却された後に答え書き直して点数修正のような事も高校1年生の頃はやっていましたし、英語の先生に平常点を上げてもらえるように泣きついたり他のクラスの人から小テストの答え教えてもらうなど、とにかく恥を捨ててやれることは全部やりなんとか赤点からの留年だけは避けました。

さてこのように英語は悲惨な状態でしたが全体で見ると成績はどんどん上昇していました。特に世界史と数学はその中でも特に得意になっていて自信もどんどん上昇していきました。高校1年の終わりには成績は中くらい(330人中160位前後)、英語と国語以外は成績で全て平均以上を取れるようになってきました。

 

高校1年生と言えば文理選択をこの頃にやると思います。色々な所にオープンキャンパスなど行ってみたりして工学部(電気)か文学部(世界史)に行きたい!と思っていたのでこの文理選択は特に悩みました。

文系いって文学部行くか理系行って工学部行くか、どっちもいいなと思ったので最終的に大学受験でどっちの方が受かりやすいのかで決める事にしました。

当時の自分の得意科目は数学、世界史、苦手科目は英語という感じでした。理系なら英語が無くても戦えそうだなと思って最終的に理系を選択しました。

 

そうしてついに高校2年生になりました。大学受験というものも少しずつ頭をよぎるようになる頃合いです。この時に受けた河合(?)全国模試の結果が

数学偏差値60

国語偏差値55

英語偏差値25

といった状態でついに受験に向けて動き出す事になりました。

 

学生時代と英語②~大学受験編~に続く